タイ人の宗教感

2018年2月8日

コップンカー、サワディーカー、タイ人と聞くと微笑みと寛容な心を持った人々というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。

そして、その背景にある考え方・価値観には、「日本と同じ仏教徒だから」というものが多かれ少なかれ含まれていると思います。

しかし、微笑みの国タイというイメージと「仏教徒」ということを混在して考えてはいけません。というのも、仏教徒だから微笑むわけではありませんし、その逆もまた真ではないからです。

まず、押さえておかなければならないポイントの一つは、日本人の考える仏教とタイ人の考える仏教は全く異なるということです。タイに多く分布する仏教は日本で言うところの「上座部仏教」と呼ばれるもので、敬虔な信仰心と修行が必要となります。

一方、日本においては多くの宗派があるものの、敬虔さという点では、そこまで重視されるものではないと思います。もし、敬虔さが不可欠であれば、いろいろな制限が課されているはずですし、クリスマスはキリスト教、正月は神道、葬式は仏教というようなことはないはずです。私たち日本人は、それぞれを行事ごと、ある種「お祭り」的な要素を含んでいることは否めないと思います。

 

タイの宗教の話に戻ります。タイでは、「上座部仏教」という極めて敬虔な信仰心を課される仏教の宗派が多数を占めています。特に、お坊さん(monk)は、タイにおいては非常に高い地位を有するもので、タイ人の多くが尊敬をしています。

この「上座部仏教」とは、厳しい修行に鍛錬を重ねているということに、重きを置いており、それを実践しているお坊さんらは非常に尊敬を集めます。その証拠と言ってはなんですが、タイにある地下鉄や電車には「お坊さん優先席」(priority monk seat)というものが、必ずドアに一番近い箇所にあります。そこだけ、オレンジ色の椅子になっているので、すぐにわかります。日本で言うところの、優先席のお坊さんバージョンといったところでしょうか。

中々座りにくい雰囲気を醸し出しています(実際はお坊さんが居たら譲ればいいだけなので、遠慮する必要はないのですが。)。

このように、タイ人における仏教の考え方というのは、私たちの考えるそれとは、全く同じものではないので、注意が必要です。

やはり、宗教の問題というのは、生き方の指針になるものである以上、正しく理解をしていかないと、「本当の意味での」友人は作れない。というのが私の考えです。

私とウチの人が初めてケンカをしたのも宗教の考え方に違いがキッカケでした。

ゆえに、タイ人と深い付き合いをしていく中では欠かせない「タイ人の宗教感」という、極めて大切なことを、次項より『重くならない程度』に書き綴りたいと思います。